スタッフブログ
2022.04.07
世話を焼く
㈱あさひ合同会計 小椋
愛犬が死んだ。長年一緒に暮らしてきたミニダックスがとうとう逝ってしまった。仕事の繁忙がやや緩む週末まで待ってくれたかのように土曜日の朝、一晩中苦しそうな呼吸の後だった。亡くなる1時間ほど前には綺麗な声で一回吠えた。「もう少しだから一緒にいてくれ」
もうあと半月で17歳になるというところだったので犬にしては十分長生きしたし、その間ずいぶんと仲良くし世話を焼き信頼しあってきた。わたしがもらった癒しは計り知れない。
亡くなった後には、苦しみから解放されてよかったね、という気持ちと、こちら側にはやり切った感もあって、3年半前に亡くなった中型犬のときほどの悲しみはすぐには来なかった。
しかし、その日の夜、明日の葬儀の際に一緒に横においてあげるものをいろいろ買ったあと泪が止まらなくなった。
チーズ、かまぼこ、牛肉、甘栗、ムーンライトクッキー、、、
今までは仕事の帰りに買って帰ると、喜んで食べてくれるのがうれしかったが、もう食べてくれないと思うと急激に悲しくなった。
“やり切った”とは世によく言われる言葉だけど、そんなのは思い過ごしかつある意味傲慢なんだ、と強く思う。もっと世話を焼けばよかった、もっと関わればよかった、というのはどうしても残るものなのだ、と。
そんななか、間際に横にいられたのは本当に恵まれていた。感謝しなくてはならない。
生前にはよく額と額を擦りつけて「もし(私が畜生界に墜ちて)いれかわったらよろしくね、仲良くしてね」と頼んである。神社でも何百回も動物安寧を祈願している。
だから、いまから上がる私の犬をどうか神様よろしくお願いします。