スタッフブログ

2022.03.08

五老の高嶺

㈱あさひ合同会計 岡山

 不意に思い出したうろ覚えの歌詞をインターネットで検索してみると、すぐに出身校の校歌全文に行き着いた。当時はただただ呪文のようにそういうものとして歌っていただけだったが、学生へ向けた希望に満ち溢れる綺麗な歌詞だなとしみじみ思う。相変わらず意味を知らなかった言葉もあったが、検索ついでに十余年越しの古文解読をすることができた。

 歌詞の冒頭に「五老岳」という山が出てくる。地元民は語呂が良いので「五老ヶ岳(ごろうがたけ)」の名で呼んでいる。岡山で言うと貝殻山くらいの高さなのでそれほど大きいわけではないのだが、舞鶴湾が 一望できる頂上からの景色は近畿百景の第 1位を取ったこともあるそうだ(とはいえ、私が小さいころから既に「取ったことがある」だったのでいつの話かは知らない)。そんな「五老ヶ岳」のふもとから頂上の駐車場までの約 2.5kmの道のりを、誰よりも多く自分の足で走って上ったのは私か兄のどちらかだと思っている。

 祖父に初めて「走る練習」に連れていってもらったのが小学校に上がる前のころ、海沿いの閉館したホテルから自動販売機のある青空駐車場まで800mを兄と一緒に走るところから始まった。成長とともに 1,500m、 2,000m、 3,000mと伸びていき小学校の低学年で行きついた先が「地獄の五老ヶ岳」だった。学校が早く終わる日と日曜日の午後 3時に祖父の車で出発し、山のふもとに降ろされた後は果てしなく続く上り坂を 20分ほど駆け上がるだけである。祖父が車でずっと後ろを着いてきてくれるので当然休む暇はない。夏休みはほぼ毎日だったので 8月終盤のどこかで必ず限界を超え、熱を出して寝込むくらいには通った。私も兄もマラソン選手を志していたわけでは全くなく、行きたくない日があっても拒否権がなかっただけなので、泣きわめき涎や鼻水でぐちゃぐちゃになり ながらでも上ったのを今でも覚えている。あれほど雨の日に救われた気持ちになることは今後ないと思う。

 最近になって父親が遺した自転車に乗り始めたので、気が向いたら岡山県内の山を探しては頂上までのなんちゃってヒルクライムに挑戦している。どうやら標高だけなら「地獄の五老ヶ岳」を超える山を既にいくつか走破できているらしい。

 確定申告を乗り切ればもうすぐ春。暖かくなったら帰省ついでにトラウマの払拭に挑戦しようと画策している。