スタッフブログ
2019.11.13
高野山
㈱あさひ合同会計 古川
和歌山県にある世界遺産の高野山は、標高800メートルの山の上にある小さな町ですが、実に多くの国から様々な人達が集まります。
私の数少ない趣味のひとつがお遍路です。この9月、四国を巡り終わった報告とお礼に高野山奥の院にお参りしました。「また、ひと巡りできました。本当にありがとうございました。」感謝の気持ちが自然と声にでます。今回は空海(弘法大師)の弟子の智泉大徳廟にも寄りたいと思っていました。空海の甥であり初弟子だと伝わっているのが智泉です。14歳で空海の従者になり、師弟で山野修行に励んだとの伝承です。空海は京都の東寺(教王護国寺)を運営しながら、高野山の修行道場化も進めます。東寺の立体曼荼羅制作指揮のため、高野山の整備は智泉に任せていたとも伝えられます。高地の開発は困難の連続でした。休むことなく働いた智泉ですが病に倒れ37歳で息を引取ります。空海は直ちに駆け付け、愛弟子の死を大層悼みました。今に残る『亡弟子智泉が為の達嚫文』には、師匠であり叔父である空海の抑えきれない感情があふれ出ています。
哀しい哉、哀しい哉、哀れが中の哀れなり。
悲しい哉、悲しい哉、悲しみが中の悲しみなり。
哀しい哉、哀しい哉、復哀しい哉。
悲しい哉、悲しい哉、重ねて悲しい哉。
智泉の廟は、壇上伽藍の裏手のひっそりとした場所にありました。「お疲れ様でした。高野山をありがとうございました。」線香をお供えして手を合わせました。
1200年間人々を迎え続ける天空の聖地は賑やかさと静けさの不思議空間です。