役員コラム

2022.10.03

急行「鷲羽」

㈱あさひ合同会計 所長 髙木 正男

急行「鷲羽」は1960~70年代に宇野と関西エリアを結んだ電車急行である。最盛期は新幹線 岡山開業前の昭和40年代で新大阪-宇野間を1日11往復もしていた四国連絡の代表列車であった。

小さい頃の私は父親に連れられ、小学校高学年からは一人か友人と何度も乗車した。岡山駅を夜中の2時過ぎ発で新大阪5時半着、6時発の一番ひかりに接続して東京へ。神戸・大阪へは朝6時発で8時半~9時に阪神エリア到着という具合。この二本は最も印象深く数えきれないほど利用した。かつて「乗り鉄」を自称した自分の中でも新幹線を除いた有料優等列車では一番たくさん乗った電車である。ちなみに大阪までの急行券は200円だった。

そんな鷲羽が1日だけのリバイバル急行として復活運転すると聞き、いてもたってもいられず予約した。残念ながら活躍していた頃の153系(長距離都市間輸送用、前後デッキ2扉)車両は完全引退しているので115系(近郊型3扉)車両での運行。編成も当時の12両から6両編成で。それでもカラーリングは緑とオレンジのいわゆる国鉄湘南カラーで遠目の雰囲気は変わらない。ヘッドマークや列車名・行き先表示のサボも雰囲気が出てる。区間はダイヤの都合で姫路-宇野間の往復運行だ。

姫路駅プラットホームでは、久しぶりに立ち食いえきそばを食し、鷲羽号入線からしっかり堪能した。宇野までの車窓では、撮り鉄カメラマンの凄さに圧倒された。通過する各駅のホームは勿論、鉄橋・踏切・カーブとあらゆる撮影ポイントに人人人。いつから場所取りで待っていたのだろう。さらに驚いたのは沿線いたるところに普通のファミリーと思しき人達が手を振りスマホを構え、よくこの臨時便の通過時間が判ったものだ。こんなに「鷲羽」を待ってくれてる人がいたんだと、あらためて感動した。

岡山駅で積み込まれた「おか鉄フェス記念弁当」を宇野線走行中にいただき宇野駅到着。鷲羽に合わせて運行されたリバイバル宇高連絡船には乗船せず、出帆を見送るだけにして復路出発までの時間は「たまの湯」でゆっくり過ごした。
帰りの宇野駅は瀬戸内芸術祭夏期最終日とも相まってかなりの人手でにぎわっていた。

それにしても久しぶりに、電車に乗ることだけを目的として「乗り鉄」を楽しんだ。アフターコロナで気兼ねなく旅ができている日の夢を見ながら。