役員コラム
2020.09.02
後生畏るべし
㈱あさひ合同会計 副所長 藤原 耕司
中国の古典「論語」における孔子のことば。
“若者は年長者をしのぐ可能性があるから、みくびらず、畏敬の念をもって接するべき”
ここ数年頭によく浮かぶ。
社会人になりたての頃、周囲は年長者ばかりだった。
気が付けば、自分よりも年の若い方たちと接する機会が増えてきた。
社内外を問わず、最初は粗削り、線が細い、(失礼ながら)センスがないと思った方が、しばらくすると見違えるようになる様を、多く目の当たりにしてきた。
若い、未熟、浅いといったことでは推し測れない。
何処かしらで、“最近の若者、新入社員、若手経営者(会社)は・・”と否定的な言葉を聞く。
でも、最近の~、というフレーズは、いつの時代にも使われているような気がする。
世の中の先輩として、会社の上司として、若者や後輩を心配し導くことは大切だが、自らの尺度・経験・力量の範囲や単なる慣習だけで後進者を測ることは避けたい。
必要以上の憂慮はいらないし、失敗を回避させることだけが、年長者の務めではない。
任せてみれば、最初は梃子摺っても、そのうち失敗から学び、さらに、新しい発想や進め方でうまくいくことは少なくない。
しかし、孔子の教えには続きがある。
“40歳、50歳になっても、社会できちんとした役割を果たしていない人がいる。
そうした人は先が知れているから、畏敬の対象としなくてもよい“
手厳しい・・・。
若者であれば、誰もが気にかけてもらえるわけではなく、いつまでも期待されるということもない。
基本的な人権は尊重され平等だが、社会で生きていく中で、各々が引き寄せる環境は、古今東西、平等ということはない。
若者の将来に希望を持ちながら、40代半ばとなった自分自身に自問自答する。
成熟しなければ、そのうち隅に追いやられ、自分は軽んじられている、と感じるようになる。
幸い、孔子の時代より寿命は格段に延び、リタイヤ後に活動できる期間も長い。
今、きちんとした役割を果たせていなくても、まだ間にあうと信じ、じたばたする。