役員コラム
2018.08.01
僅か15メートル
㈱あさひ合同会計 副所長 藤原 耕司
小学生の子どもが、夏休みに学校で開かれる水泳教室に参加する。参加の基準は25m以上を泳げることで、より水泳が上手になりたいと希望する子ども向けのもの。その基準を聞き、今の状況を聞くと「ようやく10m泳げるようになった」。15m足りない。条件を満たさなくても、やる気があれば参加できるが、そうした子どもは少数。周囲に迷惑をかけるのでは、自信を失うのでは、と心配している間に参加を決めてきた。
上映中の映画「終わった人」。
映画館には足を運んでいないが、原作(著者は内館牧子さん)を読んだ。「定年は生前葬」という言葉で始まり、定年後の男性の哀愁をリアルに、また、コミカルに描写している。「過去の自分には勝てない」というフレーズも印象的だった。最近は定年後の生き方を書いた本が売れていて、50代だけでなく、私のような40代も定年後に関心を寄せているよう。
社会人になり約20年。現場の一線で仕事ができる期間のそろそろ折り返し地点。
途中の無職期間も含め少しずつ人生経験を重ね、これまで取り組んできた延長のことはある程度見通せるようになった。忙しい中で充実感もある。一方で、新しい取り組みに対する感度、柔らかい発想力、度量が足りないのではないかと感じることが増えている。
仕事だけでなく、今回の子どもの水泳教室もそう。理屈ではなく、まずは子どもがやってみたいことを後押し、可能性を広げることが親の役割。現時点で15m足りないけど、スポーツは失敗を繰り返しながら上達するもの。数日後にはクリアできているかもしれない。基準が25mとあると、それで思考停止したが、その先の30m、40m、50m・・の過程の一つが25m。長い目でみると大したことではない。
さらに20年後、心身壮快で周囲と積極的に交わるつもりであっても、会社や社会から見てどういう存在になっているか?経験の蓄積は大切にしたいが、それのみに頼って行動している、新しい環境を受け入れられない、心配しすぎて任せることができない、単なる批評家、、等であれば「終わった人」。
未来ある子どもや次世代の後輩たちを後押できる存在になることが、今後20年間のテーマだと思う。
15m足りないではなく、僅か15m。繰り返し意識したい。