役員コラム

2016.02.01

新 春 記

㈱あさひ合同会計 取締役 古川 達也

 今年の正月は、天気こそあまり良くなかったのですが、えらく温暖でした。寒さには極端に弱い私でも、薄着で外に出られるほど。また、外を飛んでいる虫がいたりして、真冬という感じはありませんでした。毎年、大晦日と元日は美作の実家で過ごしているのですが、県北でもあまりに暖かいので天変地異の前触れかと心配していると、夜に一瞬大きく縦に揺れました。実家では震度2くらいの感じ。県北が震源地の珍しい地震でした。これで終わってくれるなら暖かいのは大歓迎なのですが、やはり冬は凛とした寒さでなければ気持ちの悪いものです。

 元日には、実家近くの阿津田神社に初詣をしました。絵にかいたような村の社といった小さなたたずまいの神社ですが、岡山県神社庁の神社紹介によれば、ご鎮座は仁寿元年(西暦851年)。和気清麿が宇佐八幡宮の御分霊に云々‥、とあるので場所としては千年以上の歴史のあるものでした。御祭神は、素盞嗚尊・大國主命・郷内五柱神ほか二柱の神様です。後で調べてみると、この神社の北には阿津田神社裏古墳という、結構ベタな名前の古墳があるとのこと。直径21メートル高さ2メートルの円墳だそうで、残念ながらどこのどなたの古墳なのかはわかりませんでしたが、次回は現物を見学したいと思っています。

 以前、吉備津彦神社の観光ボランティアの方に教えていただいた話から、神社が建っている場所周辺に興味を惹かれています。年配のボランティアの方の話はこのようなものでした。「参拝者から、吉備津彦神社と吉備津神社、こんなに近い場所に大きな神社が二社もあるのはなぜかという質問が非常に多いのですが、これは、昔の備前国と備中国の国境線の関係です。重要なのは、両国とも国の一宮をこの場所に作りたかったということ。吉備の中山は、古代から巨石群や環状列石など多くの磐座があり、現代風にいうところのパワースポットだった。この地の力をいただくためか、地の力を鎮めるためか、吉備津彦神社、吉備津神社は後付に建てられました」大昔から特異なことがあった場所の力をいただく。強すぎる気を鎮める。そのためにお社を建立したのであれば、大昔いったい何があったのだろうと想像するだけでワクワクします。

 日本は、古来より八百万という多くの神様がおられます。また、新年には年神様をお迎えします。多数の中にはすごく相性の良い神様だっておられるはず。前年が良くてもそうでなくても、新しい年神様とのお付き合いは、これからの一年間。良いことも悪いこともずっとは続かないものですよという教えでしょうか。毎年リセットされ、「新しい年は、新しい気持ちで過ごしましょう」すてきな思考方法です。

 私にできることは、相性が合わんなあという神様が来方されないようにお祈りすることくらいです。

 本年の皆様のますますのご多幸とご発展を、心よりお祈り申し上げます。